○○の存在 −1−

僕には昔からのツレがいる。とても仲の良い彼達はやはり他の在存とは異なる特別なソレだ。

一つの思い出をここに綴りたい。

僕がプロレスラーを目指したのは小学生時代に遡る。
古い記憶からすでに志していたのはプロレスラーだ。

順調に成長し中学生に、そこで今日に至るまでの関係に出会う。中学時代に出会ったR。何故かすぐに仲良くなり、僕の趣味の全てを彼に共有した。音楽はもちろん、その一つにプロレスがある。

彼もすぐにプロレスの魅力にハマり、来る日も来る日も
プロレスごっこに明け暮れた。
中学を卒業後は彼とは離れ、会うことはおろか、連絡を取ることさえも全くしなくなった。
高校卒業後、直ぐにプロレスラーになるべく僕はプロレス団体の門をたたいた。その時のことは知りたいという声が挙れば記すとする。

2013年の8月。練習生時代を経て、デビュー戦の日が決まった僕は、少年時代に、夢はプロレスラーだ、と語った友人達に連絡を取った。

その中にRも居た。
デビュー戦当日は皆して観戦に来てくれた。

昔から口にしていたモノになった僕をリング下から彼らはどう見ていたのだろうか。

その日からまたRとは連終を取り合ようになった。
彼が大学を卒業する頃僕はプロレスラーになり3年近くになっていた。

彼は卒業後は内地の方に行くと言った。生活も一段落していたこともあり、Rを含め、中学時代に決まって遊んでいた、僕を含んだ3人組で毎週遊ぶようになった。大人になったのは年齢だけで子どものように遊んだ。シーソーのちょうど中央部分に寝そべって、地面と平行にバランスを取って何秒保てるか等、言い出したらキリがないくだらない遊び。ただただ居心地が良かった。

美味しいというご飯屋さんを調べてはそこに行った。
Rは細身なくせに大食いなので、僕が知っている中の半端ではない量を提供するご飯屋さんに行こうとなった。結果から言うとそのお店は不定休で、何度か前まで行ったものの、開いておらず、結局彼が内地へ飛び立つ日の方が早く来てしまった。

少しだけ話が戻るが、彼はぎりぎりまで準備、用意をしない質で飛び立つ日が近付いてキャリケースがないと言い一緒に買いに行ったりもした。

彼が沖縄を離れる2日前の深夜。

沖縄で3人で遊ぶのは、一旦最終日だ、と集まった。
別れ際は何故かいつも「負けんなよ!」という合言葉で締めるのだが、今回ばかりは笑いながら「東京に負けんなよ!」と冗談交じりで言った。

伝わったようで、Rも笑いながら返事をした。
まさに旅立ちの春。4月の7日に彼は東京に行った。

彼が亡くなったのはそれから僅か2ヶ月のことだった。

僕が知っているデカ盛りの料理屋さん。
口では、絶対完食出来る、と豪語していたあいつのソレも、もう確認出来ないまま。

6月6日は彼の命日だ。



○○の存在 −1−


この記事へのコメント
Rさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
団体入団した頃のお話もお待ちしてますね。
Posted by ぶ at 2021年06月07日 21:57
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