オファーは僕の左膝の前十字靭帯断裂再建手術から半年を経過した頃だった。
TORUさんから着信があり、どうしてもキャリア15年の中で関わり深い大切な選手達でやりたいんだと。
その前にTORUさんは第一声
「元気?復帰っていつ頃なん?てか復帰するん?」
と、聞いてきた。
一見、冷たく感じるようだが、決してそうではない。
そこに僕はTORUさんの過去の経験と、情を感じた。
TORUさん自身も肩の手術から長期欠場を経験し、他人には決して吐けない心持ちになったはずなんだ。
怪我を経験した者は、同じように怪我を経験した者に対して、当たり前のように復帰はいつなんだ?と軽々しく聞けるはずがないのだ。
TORUさんは僕に、復帰する気はあるのか。
いわゆる復帰出来る心身には戻れそうなのか。と言うことを問うたはずなんだ。
実際、その時僕は手術から半年。
電話口で僕の返答は曖昧だったろうし、声色の覇気もなかったと思う。
数分で会話は終わり、まぁ考えといてとTORUさんからだった。
電話を切ったあと、本当にうずくまるぐらい胸の奥がアツくなった。
自分が誰かから必要とされている。それだけで本当にあの当時は救われた。
それからまた8月の末日に、TORUさんなりの偵察が来た。
僕は信頼している人達に社交辞令は好きじゃないので、いつも心からの台詞をフィルターなしで本音で答えている。
元気かと聞かれて、はい!元気です!と答えられる程、陽気なやつだったら相手も気分が良いだろうなと思えた場面は人生において数知れない。
僕がオファーを渋っていたのは、もちろん相手がTORUさんだったからだ。僕的にはもちろん心から嬉しかったが、言わずもがな試合は1人でやるモノではない。対戦相手やパートナーに気を遣わすようなコンディションで試合に出場するなんて不本意過ぎる。
本当に葛藤した。両腕で顔を覆い、うつむいて、深くため息をついた。
その瞬間に、邪念と言うのが正しいのか、そういった類のモノが同時に出ていった。
渋るような返答から、ものの5分ぐらいで上のように答えた。
身体の状態が追い付いたら判断、ではなく、この時は完全に吹っ切れて、子どものような純粋な気持ちの方を優先しようと思った。自分の中の、試合に出たい。と言う。
本当にその日から、世界が少し色付いて見えた。
たった1日前にすら全く感じなかった、光を感じた。
ただトレーニングをこなす日は終わった。
どこか1つの方角を見定めることが出来た。
迷いなく、12月の17日に向かおうと決心出来た。
また時間が過ぎ、TORUさんからカード発表の連絡が来た。
ソレを見て、正直、失礼を大変承知で
「はいはいTORUさんまたやってくれたな」と思った。
画像で見て取れる通り、そこには、「TORUデビュー15周年記念試合&TiiiDA復帰戦」の文字。
何度も言うように、僕はTORUさんの15周年に花を添えるじゃないが、そんなような気持ちでいくつもりだった。
僕の復帰戦は僕にとって二の次だった。
ただ、その形の発表はTORUさんから僕への気持ちなのは間違いない。
本当に試合で恩を返そうと誓った。
僕の試合のスタイルは周知の通り、飛んだり跳ねたり回ったり。
それまではゆるく取り戻そうと思っていたが、試合までにSNSにアクロバットなムーブを成功した姿をアップしたいと思い、膝の状態を見ながらピッチを上げて、取り戻す練習をした。
膝も頑張って着いてきてくれた。
先日Xやストーリーにアップしたが自分の中の目標はなんとか達成した。
俺が他のレスラーらと比べて、勝負出来ることといえばソレしかないのだ。
無論、長続きするようなスタイルじゃない。
実際そのおかげで僕の左膝は、大怪我と言う経験をした。
でも、小さい頃、僕が目を輝かせて憧れたレスラー達のスタイルがまさにそうだったのだ。
例えるなら打ち上がって満開に咲く花火みたいだった。
弾数は決まっているかもしれないが、たった1発で観衆の胸を撃ち抜く。
憧れてしまったのはしょうがない。
過去の少年時代の僕になんの恨みもない。
2023.12.17。
僕なりの打ち上げ方をしたいと思う。
1年と約半年ぶりに海を渡ります。